要旨 / Abstract

6月27日(月)

「美とアート」

井川陽次郎(読売新聞論説委員(モデレーター) )
松居エリ(デザイン・クリエイター)
木本圭子(CG アーチスト)
久保友香(シンデレラテクノロジー研究者)

美は、人類が求める精神的フロンティアの道標である。
アートは、美と訳されるが、人為的な手段、技巧でもある。美を希求することがアートを進化させ、アートの進化はまた、美を新たな高みへと押し上げる。
このメカニズムは、科学においても顕著だ。物理学というアートは万物の理を簡奥なる方程式に帰結させ、しかしそれが時空を超えた思索をも促している。化学や生物学においても然り。化学反応する物質の量が整数比であることが原子論をひらき、やや強引なメンデルの実験は遺伝の法則からゲノム解明への道を築いたのである。
人文系でも、カントは理性の整然たる様から「永遠平和のために」を著し、社会学たる経済学においては、近年、ピケティが膨大な統計から「r>g」の法則を導出した。
美は学問即ち人類思索の崇高なる果実、フロンティアであり、同時にアートを培う必須の養分でもある。美と思索の不可分なる共振は、情報技術の進歩によって、新たなモードを表出しつつあるだろう。その一断面を美のフロンティア探求者とともに覗いてみたい。
アートたるカオスが生み出す空間芸術とデザインは、感性による美を超えて、それを拡張させる。美を増幅するシンデレラ・テクノロジーは女性のアイデンティティとコミュニケーションを補強する。コミュニケーション能力を高めた現代のシンデレラは、技術の充実とは裏腹にコミュニケーションが分断され、時に対立の惨劇を展開する、今日社会の未来を考察する主役となるだろう。
新たな視点を持つアート、奇跡を時に表象するアートこそが、思いもかけない展開を生む。美で夢、ないしはオポチュニティーを実現させたシンデレラの物語は、知の探求に於いても改めて参照されるべき寓話なのである。

特設サイト
http://ged1959.github.io/biart/

「アーカイブ論」

天日隆彦(読売新聞論説委員(モデレーター) )
立花隆(評論家)
長尾真(国際高等研究所所長、元国立国会図書館館長、元京大総長)
吉見俊哉(東京大学大学院情報学環教授、東京大学副学長)

アーカイブとは、過去の記録を収集・保存し公開する場である。それは、次世代を育むための礎を築く手段であり、アートである。
欲しい情報が得られることによる豊かさの実感、新たな科学成果を 得るために欠くべからざる手段、活動。それがアーカイブである。どうして今、 アーカイブを論ずるべきなのか。
情報技術の進展により、あらゆる記録を収集・保存することが視野に入りつつあるが、そのことは、社会や文化のあり方に大きな変化をもたらそうとしている。
電子メディアは、大きな利便性を提供する一方で、巨大ネット企業による知の序列化や、プライバシー侵害を同時に引き起こしている。
パブリックへの配信手段は、際限なく加速し、その結果として、コミュニケー ションの革新が生む弊害すら明らかになってきた。メールアドレスの無限遠までの共有は、無尽蔵のスパム禍をもたらし、明瞭なメッセージの発信は、逆に特定の個人やグループへの攻撃、ヘイトスピーチさえ起こす。SNS, IoT の生む、不慮の世論形成は、まさにグローバルな秩序の崩壊を先導していると言ってもよいだろう。
アーカイブ手段の進歩が、逆に、人間、社会、自然科学の将来、フロンティアへ の障害になっているとしたら、それは想定もできなかった副作用だといえよう。

「情報技術と生命操作技術の拡大による「人類観」の変容」

神里達博(朝日新聞客員論説委員、千葉大学教授(モデレーター))
北野宏明(ソニーコンピュータサイエンス研究所取締役社長、所長)
伊勢田哲治(京都大学文学部准教授)

人間の優位は当面揺るがないと言われた囲碁で、AIが圧勝した。そのことがそのまま人類に対する脅威ということを意味するわけでは無いが、強力 な学習機能を持ったAIとグローバルなデータシステムの結合は、多くの判断をAIにアウトソースする社会が迫っていることを示唆する。さらに、 IoTの進展によ り、あらゆるモノがAIの身体機能を担う時代も近づいている。これらは、人類の生活を根本的に変容させる要因になることは間違いないだろう。
一方で、 生命操作技術の進展は、人類の身体的な限界を突破させる契機となりつつある。さらにBMIの発展でAIと人間の身体の直接的な結合が進んだ場合、 人類の種としてのありようが変容し、これまでの文化や社会の構造が書き換えられていく可能性はないだろうか。このような、人類・AI・ロボットの 三者がいわば「共進化」していくようなフロンティアが見えてきたいま、長い歴史のなかで積み上られてきた文化や倫理は、新たな時代にどう継承され ていくのだろう か
本セッションでは、ITと生命操作技術が拡大する近未来における、「人類観」の変容をはじめとする、社会的・倫理的課題について、分野横断的な対話を試みるものである。 

「ロボットは人間に代われるか?~介護と廃炉現場で見えたもの」

齋藤泉(TBS テレビ報道局解説委員(モデレーター) )
淺間一(東京大学大学院工学系研究科精密工学専攻教授)
入江徹(オリックス・リビング企画部広報課長)

私たちは今、様々な場面でロボットの助けを借りている。本格的なロボット時代が到来したと言っても過言ではない。
特に産官学で進められているのが、介護現場でのロボットの活用である。介護でロボットに肯定的な背景には、科学技術の進歩だけではなく、少子高齢化、労働人口の減少、介護職員の不足、老老介護増加という現実がある。
一方、5年前に起きた福島第一原発の事故でもロボットは重要な役割を担っている。建屋内の桁違いの高い放射線量のために、当面はロボットの力を借りなければ廃炉作業は進まない。原発を作り、その恩恵を受けてきたのは人間だが、事故の後始末はロボットに頼らざるを得ない現実がある。
介護と廃炉の現場でロボットがしていることは、本来は人間がやらなければならないことではないのか。人間はどこまでロボットに頼るのか、人間とロボットの関係やあるべき姿を、今こそ問いたい。

「科学と政治、行政の距離」

大牟田透(朝日新聞論説委員(モデレーター))
安岡善文 (東京大学名誉教授、 外務省科学技術外交推進会議委員 (環境学))
小山田和仁 (政策研究大学院大学科学技術イノベーション政策研究センタープログラムマネージャー補佐(政策デザイン領域))

地球温暖化やパンデミック、防災などの危機管理的な分野を中心に、科学者の見解や予測等が求められる局面が増えている。科学者の政策への関与はしかし、科学の持つ本質的な不確実性や学問の自由との関係で緊張をはらんでもいる。温暖化論争、福島第一原発事故と情報発信、それ以降の原発と活断層や火山をめぐる議論、地震予知における科学者の役割と責任、病原体のゲノム公表とバイオテロ防止など、学術と政治、行政との関係は、複雑になってきている。
学術は自由な発想で仮定を凝らしつつ、森羅万象の摂理を紐解く活動である。これに対し、政治や行政は国民の安全確保や災害時の被害軽減などに取り組み、そこには権限と同時に責任が発生する。
前者への自然科学の貢献がフロンティアを志向するとすれば、後者は自然科学と社会科学が繰り出す人為的な手段を提供する技法である。両者の立ち位置の共有は非常に難しい。 科学と政治、行政との距離について、その現状と課題を論議する。

「地球外生物(1) 」 「人知は神の摂理(生命) を超えられるか。」

寺門和夫(科学ジャーナリスト(モデレーター) )
木村大治(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授)
高井研 (国立研究開発法人海洋研究開発機構深海・地殻内生物圏研究分野分野長)

多くの人々にとって、神の摂理としてしか認識できないような宇宙・地球・生命に潜む現象や法則性は、いまや、人工的に到達しうるフロンティアの一部ともなっている。

理解を超える膨大さ、と考えられてきた人間を含めたあらゆる生命のゲノム情報は、今や普遍的なbig dataとしてアプローチ可能であり、その情報をもとにした医学、また遺伝子・ゲノム工学も進み、iPS による治療など、人間そのもののphysical な意味での生命に関わる操作もまさに現実化している。一方では、遺伝子やゲノムを操作することの倫理や、遺伝子・ゲノム情報だけでは、おそらく体系化・理解できない多様な文明・文化が作り出されてきた歴史としての経緯・行動原理がある。

我々は、古来においては神の制作物であると信じられてきたが、果たして、ゲノム program によって作られてきた physical な肉体の生命体ということで括られきるのか。文化人類学は、現象論的な解釈に過ぎなかったのか。あるいは、我々の育んできた文明遺産とは、そういう program を肉体という platform 上にて創られた産物(作品) に過ぎなかったのか。人類観が、様変わりしてもおかしくない時代を迎えている。

太陽系が別の太陽系の残骸でできていることを考えれば、人類は、宇宙スケールで分布していてもおかしくはなく、宇宙人類学という言葉もけっして非現実ではない。アストロバイオロジーという研究領域が、現実味を帯び、太陽系での、ないしは太陽系外において、生命への手がかりを模索する時代を迎えている。地球の深海や深部極限環境は、宇宙とともに、生命の起源に迫れる環境を提供し、ゲノム情報の解読と生命部品の再構成による合成生物学の進展が地球生命の進化やそれとは別にあったかもしれない生命の進化の道筋に関わる情報や原理を具体的に提供し始めてもいる。

人類の来し方行く末さえも、人工的な手段で変わりうるフロンティアであるとなった現代において、そのアートを行使する倫理を、どのように考え、また、あるべきphysical な行末、作品の行末をどのように展望していけばよいのか。人知は神の摂理(生命) を超えられるかというフロンティアについて考える。

6月28日(火)

「人工知能 自動運転と未来社会」

吉田典之(読売新聞論説委員(モデレーター) )
松原仁(公立はこだて未来大学複雑系知能学科教授)
谷口恒(ZMP 社長)

囲碁の世界で、人間界のチャンピオンがコンピューターに敗れるというニュースが踊る。チャンピオンをして「人間の手ではない」と言わせしめた人工知能は、 深層学習という技術で自ら大きく進化する段階に入った。文章の作成でも、人間に近いレベルを見せるなど、人工知能は知識や論理では長足の進化を見せる。一 方、米国では人工知能が、悪意のある書き込みに影響されてヒトラーを肯定する発言をするなど、善悪の区別や倫理感など、人文科学の面から見るとまだ多くの課題が残されている。
人工知能とは何か、様々な議論がある。自動運転のように、具体的な動作やゴールが達成されると、単なる自動機械の範疇へと引きずり降ろしてしまう、冷めた見方もある。それでも、自動運転に対する期待は、安全な社会の実現、人間との共存など、昔ながらのフロンティアに一歩近づく議論の材料を与えてくれる。
人工知能が目指す究極のフロンティアは、人文科学的に述べれば、人間とは何か、の解明であり、社会科学的に述べれば、安全な社会、生活の実現だ。同時に、人工知能は新たなアートを生み出す道具でもあり、人工知能そのものが、人間が作り出すアートでもある。
アートが果たして人類をフロンティアへと導けるのか、あるいはアートがアートを追求するだけの空回りで終わるのか、技術の現状を見つめつつ、議論を行いたい。

「文系廃止論騒動」 ~理系偏重か?文系支配か?〜

滝順一(日本経済新聞社編集局経済解説部編集委員(モデレーター) )
村上陽一郎(東京大学、国際基督教大学名誉教授)
元村有希子(毎日新聞社編集編成局デジタル報道センター編集委員)

突如として切り出されたかのような文系廃止論。学術を構成する、人文・社会科学を否定するかのような議論に戸惑う人も多い。実は、フロンティアは、人間、社会、自然いずれの世界にも存在するものであって、それらを転がす手段としては、文系も理系も、同様なアートを展開する構造を持っている。この議論は、フロンティアに関する議論ではなく、多分にアートの議論なのであって、その中間成果をどの評価軸で見るかだけに過ぎない軽薄な議論と見えなくもない。
文系の方々には政府の施策が理系重視、成果主義、産業競争力重視と映っているが、逆に、理系の方々には日本社会は文系支配(官界、政界、産業界いずれも)、理系は便利な道具扱いという見方がある。道具とは、ある意味での、技巧というアートである。どちらなのか、という分析から、文理を分けてきた日本の教育史、文化史の問題に迫りたい。

「イノベーション、科学技術と教育」

鈴木款(株式会社フジテレビジョン解説編集部シニアコメンテーター(モデレーター) )
下村博文(自由民主党総裁特別補佐 兼 特命担当副幹事長)
安宅和人(ヤフー株式会社CSO(チーフストラテジーオフィサー) )

変革を生む創造こそがイノベーションであり、産業・経済の停滞を打ち破る方策として、いかにイノベーションを生むかが、ことあるたびに政策に掲げられてきた。しかし、イノベーションは、起こせと言って起きるものではない。現代では、インターネットに代表されるように、seeds が突拍子もない変革を産み、ICT で代表されるように、産業・経済を前進させる局面が多い。
イノベーション生む背景は、研究開発たる科学技術に関わる活動にある。その弛まぬ活動が、思いもかけない seeds を生んでいるのである。その活動は、文字通り、人為的な技巧であり、アートそのものである。さらに、それらを支えているのは、人材育成であり、教育システムである。教育とは、予め必要条件を植えつけんとする、これも文字通りに、アートと言ってよい。
これらを一環して行わせるには、イノベーションが教育をドライブする必要がある。確かに、科学技術の成果は、若年層を大いに励まし、そして新たな活動へと向かわせる原動力となる。しかし、イノベーションは、実は、結果であって、技巧、手段ではない。イノベーションを技巧として発生させることは難しい。しかし、この発生を指向しないかぎり、この連鎖を生み出すことはできないのであって、戦略的に「発生」にどのように取り組むのかが、議論されなくてはならない。一つの戦略は、たとえば宇宙開発などの総合科学技術の発信でもあろう。これを惹起させることは政策である。

「アートとしての数学」

辻村達哉(共同通信社論説委員(モデレーター))
合原一幸(東京大学生産技術研究所教授)
伊藤 聡(大学共同利用機関法人情報・システム研究機構統計数理研究所副所長)

数学は、いわゆる自然科学の世界からすれば、「自然」でない科学という面を特徴としている。その世界は、創造のかたまりであり、創られる世界そのものがフロンティアでもある。数学は、物理をひらいたアートであるのと同様に、物理で開拓されたフロンティアそのものでもある。経済学を牽引する一部の集団は、計算科学ないしはサイバネティクスという分野を形成し、社会科学を増進させるアートとして機能している。数値模擬技術の進展は、飛躍的な薬学の発展をもたらした。宇宙探査や情報工学においても、応用数学というアートが、それらを推進する主たるアートを提供している。
このように、数学は、ある面ではアートである。科学技術たる自然科学の世界はもちろん、人文社会科学の世界においても、数学というアートと接触することで、フロンティアが切り開かれてきた。今、どんなフロンティアが数学でひらかれつつあるのか。また、新たな数学自身が形成するフロンティアが展望されるのか。生物の物理、気候変動予測のグランド・チャレンジ、制御工学を例に、また、人文社会科学のフロンティアをひらくアートとしての数学を議論する。 

「地球外資源」

川口淳一郎 (国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所宇宙飛翔工学研究系教授・シニアフェロー(モデレーター) )
青木節子(慶應義塾大学大学院法務研究科教授)
宮本英昭(東京大学総合研究博物館准教授)

昨年11月、オバマ大統領は、「商業宇宙打上げ競争力法」という法案に署名した。同法の第4編が「宇宙資源の探査および利用」について規定し、「小惑星または月面で米国籍の個人または企業が発見した資源は、国際法に従う形でその発見者に帰属し、発見者の自由にできる」 と定めている。
いわゆる学術研究対象という視点を超えて、この法案が議論され施行されるところに、米国と我が国での、宇宙開発に関する認識の違い、そして捉え方の違いがある。
日本では、おそらく、国際合意が先、という思考パターンであろうし、日本は、ルールさえ決めてもらえれば、何でも出来るし、勝てる、と考えるだろう。しかし、実際には、ルールが決まったときには、すでに手遅れなのである。そこが、宇宙に限らず国際的にリーダーシップをとれない根幹でもある。
資源の利用は、豊かな生活、ないしは、人類が存続するという、sustainabilityというフロンティアを求める行動である。資源調査は、探査であり、その自然科学的な成果こそが、宇宙資源利用をはかる手段としてのアートを提供する。同様に、探査政策こそが、宇宙資源利用をはかるアートでもある。
宇宙資源の存在や利用性を確認しつつも、イノベーションを起こすために、科学技術と探査政策に求められる視点を、国民性や教育・人材育成の課題にも触れながら、議論したい。

「地球外生物(2) 」「我々自身が、alien である。〜 進化が起こすメッセージとは?」

観山正見(広島大学学長室特任教授(モデレーター))
斎藤成也(国立遺伝学研究所集団遺伝研究部門教授)

地球が宇宙開闢(かいびゃく)からの存在でないことは明らかであり、また一 方、Kepler 宇宙望遠鏡による観測が明らかにしたことは、”We are not alone”どころか”We are surrounded by ourselves”の時代を迎えているという ことでもある。太陽系外惑星を実写することもはじまり、太陽系外にバイオマーカーを探し、また、 SETI(Search for Extra-Terrestrial Intelligence) , CETI(Communication with Extra-Terretrial Intelligence)も本格化する時代を迎えている。生命地球起源説 vs パンスペルミア説(地球外生 命起源説)の議論は、いまや、「われわれ自身が、alien である」という観点にたてば、前者の限界を語る時代になっているとさえ言える。
一方で、現生生物のゲノム塩基配列の解読から、原初の生命体はどのようなすがただったのかにも注目が集まるところである。原始的生命体にも、彼らなりにコミュニケーション能力があったはずであり、進化とともに、それは多 様な変化を遂げた。人類社 会でも同様である。コミュニケーションは、閉鎖環境の下では、その形を変え、いじめや弾圧に向かうことすら起こりうる。そ れが、 グローバルな大戦を招き、種の絶滅にもつながりかねない。また、科 学技術の進展が、逆に環境やエネルギーの終焉を告げるかもしれ ない。それ が、系外の人類には、先に訪れているかもしれない。その時、彼らは何を発信 しようとするだろうか。どのような行動に出るだろうか。
われわれの兄弟たちとの CETIを考えた場合、むこう側の兄弟が行使する手段は、メッセージは、行動は何だろうか。むこうの兄弟も、”We are not alone”と思っているに違いない。行き詰まった社会が、彼らをして、地球と系外「地球」とのコンタクトを行なわせるかもしれない。
手段としてのコミュニケーション能力はアートである。地球、人類の未来像、 未来社会、終末論を展望しつつ、フロンティア、フロンティアとのコミュニケーションを議論する。